セカンドアルバム「HARAKIRI HEAVEN」リリース記念 特別インタビュー!
by Mikako"micKie"Takahashi
〽︎酩酊極まれり 丑三つ時…
幾杯も飲み干したグラスに新たに酒を波々と注ぎ、畝る重低音に重なる繊細且つ奔放なギターの音色に、今宵も身を委ね酔いしれる…
去る4月14日に2ndアルバムをリリースされ、早くも大好評との噂しきりな三人の刺客〜黄泉の丘、三途の河原より蘇った死霊たち…
その名は…
"HARAKIRIZOMBIE〜ハラキリゾンビ"
かねてより気になっていたこのバンドのリーダーであるマサゾンビ氏より、或る日突然のご依頼。
しかも当方のみの独占インタビューとの事で、身に余る光栄に慄える日々を過ごし、本日漸くリリースの運びとなりました。
前半は、リーダーでありVo.&G.のマサゾンビ氏に、これまでの経緯その他様々な事柄について語っていただきました。
mic:先ず、2017年のHARAKIRIZOMBIE結成当時はどのようなバンドを目指していらしたのでしょうか?現メンバーでの活動は3年前の2019年からとの事ですが、ニッタゾンビさん(ds.〜以下ニッタ)、ハルゾンビさん(b.〜以下ハル)と出会い、共にやっていこうと思った決め手は何ですか?
マサゾンビ(以下マサ):2017年当時、私は右腕のジストニアでギタリストとしての活動を休止していたんですが、スローなフレーズならなんとか弾けたので、そういうスタイルのバンドを組んで遊んでみようと思ったのがきっかけです。その頃は今と違ってスラッジとかドゥームとかストーナー全開な音楽性でした。1リフ1コードとか。
で、そのうちにジストニアが自然に治っちゃって地獄車にも復帰したんですが、そうなるとハラキリゾンビもマジにやりたくなってきたんです。
その流れの中でメンバーチェンジがあって私がボーカルをやることになり、ニッタゾンビが加入となりました。
その頃すでにハルゾンビはハラキリにいました。
ハルゾンビは10年前くらいに地獄車で出たライブで、私がステージからちょっと離れたバーカウンターで飲みながら対バンの演奏を聴いてたらアンスラックスの「CAUGHT IN A MOSH」のイントロのベースが流れてきて「えらい威勢のいいベースだなあ」と思ってステージを観に行ったら当時大学生だったハルゾンビが弾いてて「すげえ女だな」と。
その後ハラキリゾンビで初代ベースが抜けた時に後任を考えたら「あの子しかいない!」と思い誘ったら二つ返事で加入してくれたんです。
ニッタゾンビは彼が以前いたLapis Lazuriというバンドのリリースに私が関わったことがあって、まあこれも十数年前なんですけど。
その当時はニッタゾンビも二十歳そこそこで。その頃からリズムに粘りがあっていいなあと思ってはいたんですが、そんなに顔を合わせる機会もないまま時間が経ちまして。
で、前述のハラキリのメンバーチェンジの時にハルゾンビと「ドラム誰かいい人いないかなあ」と相談してたら私が「あ!!!新田がいた!!彼なら間違いない!」と閃きまして、ハルゾンビも「さすがマサさん!冴えてますね!」と大賛成の誉め殺しで(笑)、その日にすぐ新田君に声をかけて飲みに行ったんです。
新田君も突然私なんかに呼び出されて警戒したと思うんですけど(笑)。
ZABADAKっていう二人が共通して好きな音楽グループの話題でそこそこ盛り上がった後ハラキリゾンビの今後の構想を説明して「一緒にスタジオ入ってみない?」という方向に持っていき、そのまま加入、となりました。
mic:1st(2020年6月)から約2年での2nd(本年4月)のリリースとなりますが、1st製作時と併せ比べ、2ndはどのような構想を以って臨まれたのでしょうか?
制作中に起きたケミストリーや御苦労などについてもお聞かせください。
マサ:1st「HARAKIRI HIGHWAY」の時は「バンドやるならまず音源があってのライブ活動がベスト」との思いがあって、とにかく出すんだという決意で臨みました。頑張って早い段階で1st出したおかげで新人バンドとしては最初から色々うまくいきました。
ちなみにこのメンバーで活動開始するにあたって私が企画書を提出したんですよ。二人に。
その中に「毎年アルバム出すのをまず3年やってみよう」というのがありまして。で、そんな無茶な提案に躊躇せず賛同する二人がいたんですが(笑)。
それで2021年にはセカンド出す予定で曲も書いてたんですが、私の右腕に腫瘍が見つかって手術になったり、色々あって1年延びてしまいました。でも、その期間をおいたおかげで今作「HARAKIRI HEAVEN」はすごく濃い内容になったんじゃないかと思います。
1stの時と違ったのは最初から曲順を決めて作曲したことですかね。「この曲は一曲目、この曲の次にこの曲」っていう感じで計画的に作曲しました。
ケミストリー的なのは、、、たくさんあったと思うんですけど、とにかくリズム隊のフレージングが秀逸で私もギターソロ録る時はそれらに絡める感じでフレーズを組み立てていきました。
1stの時は逆だったんじゃないかと思います。二人がギターに合わせてくれてる場面が結構ある。
で、制作においての苦労はなかったですね。特に録りはスムーズに済みました。ミックスが1ヶ月かかっちゃいましたけど、おかげで色々学べました。
mic:1st、2nd共に、曲のタイトル、歌詞の殆どが日本語であり、コスチュームも和装でいらっしゃいますが、その辺りのこだわりについて教えてください。
マサ:歌詞は最初から日本語でいこうと思ってました。
今まで自分がボーカルやってるバンドって歌詞がほとんど英語だったんですけど、このバンドでは日本語で書くというチャレンジをすると決めてました。
チャレンジということ以外に最初は理由はなかったです。
でも結果的によかったです。書いててすごく楽しいので。
着物を着るアイデアはハルゾンビが出してきたんですよ。
実はこのメンバーになる前の幻のMVがあるんですが、その中で私が合気道の袴姿で出演しててハルゾンビはそれを見て自分も着たいと思ったみたいです。
で、私の居合道着と袴をお二人に進呈して、3人そろって黒い剣士になった。
なにしろ私は武道歴長いので家に道着と袴がたくさんあったんですよ。
ハルゾンビは最近から可愛らしい着物姿になりましたけど。
mic:長らく合気道(養神館合気道海龍館なんじょう代表
(https://harakirizombie.wixsite.com/websitetsukishiro)を続けていらっしゃるマサさんですが、バンド活動や作品制作、ライブステージに於いて合気道との融合性〜精神性などリンクするものがあるとしたら、それはどういったものでしょうか?
マサ:合気道は相手を力づくでやっつけるとか倒すってのは無いんですけど、やっぱりそこから学んだことはとても多いです。
例えばステージでも「盛り上げてやろう」とか「かっこよく見せてやろう」とか思わないです。
観てる人と一緒に作ってるんだという気持ちでやってる部分はあります。
作詞作曲でも聴き手の判断に委ねる部分を必ず残すようにしてます。なんというか、自己は確立してるんだけど、エゴをコントロールしてるというか、、、。「押し付ける」んじゃ無くて「引き込む」感覚を大事にしてます。
mic:バンド歴30年〜地獄車〜鉄カブトという二つのバンドを経ての現在までの間の御自身の音楽性の変化や自覚的成長、その時々の展望など移り変わりが少なからずあったのではと思われますが…?
マサ:まさにさっきの話題に通じるんですけど、リスナーとの関係性が成熟してきたかなあと思います。
mic:腕に御不調がおありでしたね。その後順調に回復されているようで何よりですが、お辛かった間はどのようにギターと向き合っていらしたのか教えてください。殊ジストニア関して〜罹患して辛い思いをしているミュージシャンも少なくないようです。個人差があると思いますが、アドバイスがあればお願い致します。
マサ:もうジストニア歴長くて14〜15年くらいになるんですけど、最初はこの病気について知ってる医師も少なくて、ようやく診断が出たのが発病してから8年目でした。
それまでは本当に原因不明で辛かったですね。それでもアルバムを何枚か出してますけど、、、。
でも2014年に症状が完全に悪化して一度ギタリストは引退しました。
それから3年は全くギターに触らずで。
しかし2017年に前述の経緯でハラキリゾンビを結成したあたりから劇的に回復していきました。
回復のきっかけはなんだろう、、、。
想像ですけど、ギター弾いてない間に合気道で三段を取得したんです。
武道で三段っていうとまあまあ一人前になると思うんですけど、そのおかげで「ギター弾いてなくても自分は自分」みたいな感覚が持てたのかな。
自分のアイデンティティとギターをある程度切り離すことができたのがよかったのかもしれません。
でもわかんないですね。ラッキーだったと思います。
mic:ソングライティングについてお伺いします。メロディやフレーズ、歌詞が浮かぶのはどんな時でしょうか?HARAKIRIZOMBIEの楽曲のテーマは、当方基準にて「酒」「夜」「旅」「愛しい女性」と表面的大別をしているのですけれども、全て創作なのでしょうか?
マサ:メロディはリフが浮かんだあとにそれに付随して浮かんできます。
以前はバイクに乗ってる時とか車の運転中が多かったんですが、ここ数年はギターを持って「曲作るぞ」と思うと自然に色々出てきます。
作曲で苦労したことは今まで一度もないです。
むしろアイデアがどんどん湧いてきて「生きてるうちに形にしないともったいない」という脅迫観念が(笑)。
歌詞のテーマはそうですね、酒、夜、旅、愛しい女性、、、ですね。言われてみて気づきました(笑)。
でも共通してるのは「現実逃避」です(笑)。
今作の「百鬼夜行」とかはその極みですよ。自分で読んでて「俺は本当はこんな人間なのか?」と不安になったりしますけど、まあ創作だからセーフかなあと(笑)。
mic:ところで、現在の沖縄のバンドシーンやライブハウス事情について教えていただけますか?
マサ:沖縄はメタルバンドがめっきり減っちゃって寂しいですねえ。
10年前は50バンドくらいいたんですけど。でも今はそのぶん対バンがバラエティ豊かで、ハラキリのリスナー層も多彩になったのでよかったかなとは思います。
普段全然メタル聴かない人にライブを見てもらって物販でアルバム買ってもらったりすると、なんかこう「音楽やっててよかった」って思いますよ。
ライブハウスもみんな頑張ってますね。それぞれのハコに個性があっていいと思います。
mic:なるほど、そうなのですね。
さてそれでは…この後はニッタゾンビ・ハルゾンビのお二人にも加わっていただき、御三方様へのさらなるお伺いをさせていただきますね。
音楽との馴れ初め〜子供の頃から、HARAKIRIZOMBIE結成/加入に至るまでの来歴と、影響を受けたアーティスト・バンド・楽曲・アルバムについて教えてください。
マサ:音楽の原体験はテレビのポンキッキで流れてる曲だったと思います。家にレコードもありました。
楽器は小学6年生の時にトランペットを始めて中学校では吹奏楽部にいました。
この頃はクラシックとジャズが大好きでした。
バンドを組んだのは17歳の時で最初はベーシストだったんですが作曲のためにすぐにギターに転向しました。
1991年におそらく沖縄県内初のデスメタルバンドを結成して活動。
一時サラリーマン時代を経て99年に地獄車に加入、その後並行して鉄カブトを結成。
2014年にギタリストを引退。2017年復帰、、、という感じでやってきました。
影響を受けたアーティストは聖飢魔II、BLACK SABBATH、EXODUS、DESTRUCTION、ZABADAK、LYNYRD SKYNYRDあたりです。
ニッタ:ライオネル・リッチーが好きな父とハードロックが好きな母のもとに生まれ、ギターとピアノが鳴り響く家庭でした。
特に5歳くらいまでは邦楽を聞くことが少なく、一番初めに聞いた邦楽はB'zか中西圭三だと思います。
その時までの経験が音楽が好きだと気づいた原体験のように感じます。
小学生の頃には特にTVゲーが好きでスーファミやプレステでRPGやシュミレーションゲームを中心にいろいろプレイしました。当時は今と比べてグラフィックも発展途上であったこともあり、物語に没入させる手法である音楽に自然と耳が傾くことになりました。
特に印象的だったのは植松伸夫さん、光田康典さん、松枝賀子さんの楽曲ですね。幻想的で彩り豊か、感情の機微までも表現できる音楽ってすごいな、と当時の私は思っていませんでしたが今思いかえすと琴線に触れるという感覚を味わったのはこの辺りだと思います。
その後バンドに意識が向くキッカケになった出来事が当時中学生だった2000年頃に起こりました。
当時は2000年という節目に際しコンピレーション・アルバムやアニバーサリーリマスター音源がリリースされていました。特にその中でも特に衝撃的だったのがThe Beatlesの「1」と2枚組オムニバスの「music of the millennium」でした。
「1」も”Ticket to ride”のイントロを聞いたときに「よし!ギターやろう!」と決意したのを覚えています。
実は最初に腰を据えて挑戦した楽器はギターでした。
かたや「music of the millennium」は私の節操のない音楽的嗜好の礎になるようなアルバムでした。
2枚組アルバムの中にはクイーン、ストーンズ、デレク・アンド・ザ・ドミノス、ボン・ジョヴィ、U2、デヴィッド・ボウイ、デュランデュラン、サイモン&ガーファンクル、ロッド・スチュワート、ケイト・ブッシュ、プリンス、ビーチボーイズ、ボブマーリー、スティーヴィー・ワンダー、その他にも多数のアーティストが名を連ねていて当時の私にとっては宝石箱のうようなアルバムでした。
このアルバムのおかげで年齢詐称疑惑が付きまとっているのではないかと最近では感じます。
その1年後モンパチの大躍進もあり世はバンドブームへ。
そのムーブメントにギターとして参戦しようとするも競争相手が多くて挫折。ただ早くバンドで演奏したかったので競争率の低いドラムに挑戦。
意外にも最初から叩けてしまいました。
当時周りで流行っていたRIZE、Dragon Ashなどのミクスチャーロックを中心にモンパチやハイスタなどのメロコア系にも手を出してました。
その後高校進学した辺りで洋楽ミクスチャーロックやアヴリルラヴィーンなどのコピバンでドラムを叩いていました。
そして高校1年の5~6月のことです。
友人が貸してくれたアルバム「Blue Blood」を聞いてぶっ飛びました。
その少しあとに別の友人の家でX JAPANのLAST LIVEのDVDをみて一気にXファンになりました。
その後の私は最寄りのTSUTAYAで「ヴィジュアル系」や「~~ X」と書かれたアルバムを試聴機に持っていき2バスフレーズが入っているかどうかを基準にして邦楽・洋楽問わずいろんな音源を聴き漁りました。
もちろんYOSHIKIに憧れていたのですぐにツインペダルを購入して練習スタジオでひたすらコピーしてました。
叩き方も真似てしまった結果、この時期に腰を壊しましたね。
この高校時代には大事な出会いがたくさんありましたが、中でもとりわけ大きな出会いはハイブリッドという練習スタジオに通い始めたことでした。
それまでは中学の仲間内でのみ活動している状況でしたがこのハイブリッドで出会った先輩バンドマンからの刺激を受けて「こんな風になりたい!色んな人と一緒にライブしてみたい!」と思うようになりました。
んで大学進学です。
本当は大学には行かず東京に出てドラムを突き詰めようと思ったのですが、親に「今の時代、大学は出ておけ」と言われたので地元の大学へ。
大学の音楽サークルに所属もしましたが、陰鬱なプログレッシブロックを演奏するLapis Lazuliというバンドに加入して学外での活動がメインになっていました(このバンドで活動しているときにマサゾンビとの接点が生まれています)。後にこのバンドは解散してしまいます。
その後ハイブリッドのオーナーであるいっせーさんに拾われ、THE WARSMANSというバンドへ触ったこともないシンセサイザー・マニピュレーター担当として加入することになりました。
その後友人のスカバンドへ掛け持ちで加入したり、ポップバンドにサポートでお呼ばれしたり今日までバンド活動を続けられています。
HARAKIRIZOMBIE結成/加入に至るまでの来歴〜
2019年のある日にマサゾンビから連絡を受け二人で飲みにいくことに。
実は15年ほど前に当時在籍していたバンドが東京のレーベルからリリースをする際にマサゾンビにお世話になっていました。
HARAKIRI ZOMBIEのドラムをやってみないかというお誘いに明言を避けたものの興味があったのでとりあえずやってみることに。
実際に音合わせをしてみると意外としっくり来たことと、私生活を圧迫しないバンド活動を目標としていたことに呼応し加入を決意しました。
影響を受けたアーティスト〜
<幼少期>
・ライオネル・リッチー
・マンハッタンズ
・Queen
・光田康典
・ゲーム音楽全般
<学生時代>
・RIZE
・Dragon Ash
・GLAY
・X
・Racer X
・Angra
・Dream theater
・PinkFloyd
・King Crimson
・Yes
・筋肉少女帯
・IONA
・The Corrs
・Dave Matthews Band
・SOFT BALLET
その他多数
<ドラマー>
・金子ノブアキ
・Mike Portney
・Bill Bruford
・Carter Beauford
・YOSHIKI
ハル:初めまして!
HARAKIRI ZOMBIE 5弦のハルゾンビDeath⭐︎笑*
小6の時に親に頼み込んで、当時好きだったΛuciferのライブを福岡まで見に行った時にベースの人のファンになった事がきっかけで私もベースを初めてみました⭐︎初めはファン心からです(笑)
HARAKIRI ZOMBIEに入るまでは大学の軽音サークル仲間とAnthrax、PTP、ジュディマリ、SIAM SHADE、凛として時雨、東京事変、相対性理論などなどコピーや、mellow doux douxというオリジナルバンドに参加していました⭐︎
高校で出会ったSystem of a downのアルバムMezmerize、Hypnotizeに日本のバンドでこんな曲聴いたことない…!!と衝撃を受けて(笑)から色んなバンドのCDを聞くようになりました✨いまでも大好きでカラオケに行くとVicinity of Obscenityをよく歌います♪♪
大学ではStratovariusやHelloweenのコピーをしてた先輩方の影響もあり、メロスピにハマりました♪♪この頃はマサゾンビ率いる鉄カブトのLiveを観によくライブハウスにも足を運んでいて…まさか一緒にバンドを組むとは思ってもなかったです!w(笑)
mic:以下、ニッタゾンビさんとハルゾンビさんにお伺い致します。
他のお二人と出会われての印象と、演奏する上で留意されている事は?
ニッタ:マサゾンビ>怖そう→すごく優しい人、誰に対しても正直だけど割りと繊細。
ハルゾンビ>かわいい感じなのに持ってるベースがえげつない、気遣いすごくてバランスとってくれている。
演奏する上で留意していることは、ボーカルとギターが1番、あとは野となれ山となれ!細かい話だと他のパートのテンポ感にすり寄らないようにしてます。基準となるドラムに合わせてマサゾンビ・ハルゾンビが演奏してくれているので、その基準がどちらかに寄せちゃうとノリがおかしくなると考えているから。磁石の同じ極同士を近づけると反発するようなイメージに近くて、意図したノリやグルーヴを出せなくなる気がするからなるべく気をつけています。
ハル:元々、他のバンドで活躍しているお二人の姿を見ていて、確立されたプレイスタイルと技術面の高さに憧れを持っていたのもあって、演奏する上ではお二人の輝きどころを支える後押しできたらという気持ちで演奏しています(*^^*)
mic:リズム隊としての相性的なことやバランスの取り方、コンタクトなど、どのようにやっていらっしゃるのでしょう?
ニッタ:相性や音域・帯域バランスついては意識したことがなくて、多分ハルゾンビがめちゃくちゃ合わせてくれている。
叩きながら目を瞑ってしまう癖があるのでアイコンタクトなどは要所のみ最小限になっているはず。
実はこのクセを直したいなと思ってたりします。
ハル:ニッタゾンビは1コーラスほどを切り取って見ても、大きなノリ、細かいノリ、多彩な引き出しから非常に器用にリズムを作ってくれるので音を聞いてるだけでアイコンタクトのような合図が要所要所に入れ込まれています♪あとは、手足が長くてストロークがとっても綺麗に見えるんです!1音1音しっかりした出音なのでそこに乗っかって弾きながら、滑らかさが出るようなイメージでどっしり弾いてます⭐︎
mic:マサさんから御覧になって、お二人のリズム隊としてのフィーリングはどのように映りますか?
マサ:なんか海外っぽいですよね。あとはメタルという、わりとフォーマットが決まってる音楽の中でも自由な発想でやってると思います。だいたい私の予想を超えたプレイをしてくれてます。
mic:では、ニューアルバムについてのお伺いです。
2nd制作〜どんな留意工夫をされましたか?1stと併せ比べお答えください。
ニッタ:1stから大きく変わったと思うのはマサゾンビのディレクションに頼っていた部分を、自分やハルゾンビで少し担えるようになった気がしたことですかね。
2ndアルバムの録音までにバンド内での信頼構築ができていることの証明かなと思います。
ドラムに関してはいいテイクが出るまで演奏を続けることに固執しすぎないこと。限られた時間の中でクオリティーを保つにはパンチインやエディットもガンガンやる!
ハル:2ndは楽曲のバリエーションが広がり、前作と比べアップテンポな曲も増えました♪指弾きからピック弾きに変えたり、フレットレスベースを初めて使用してみたり、曲ごとに緩急をつけれるように臨みました⭐︎
mic:ありがとうございます。御三方様への質問に戻ります。
メインの使用機材(楽器本体・エフェクター・ピック・弦・スティック・ヘッドなど)と、チューニングについて教えてください。
マサ:ギターはESPのM-Ⅱ DeluxeとE-ⅡのST-1がメインです。
アンプはENGLのPOWER BALL ⅡとROLAND JC90を2台使用してます。
エフェクターはMAXONのOD808がかけっぱなしでリードを弾く時はJIM DUROPのCRY BABYを踏むことが多いです。ピックは高校時代からJIM DUNROPのJAZZ Ⅲの赤を愛用してます。
ニッタ:スネア〜TAMA パット・トーピーシグネイチャーモデル 14'×6.5' ブラス製
ペダル〜Peral D-3002C
スティック〜Wincent 5A ヒッコリー/ティアドロップチップ
ハイハットシンバル〜SABIAN HH Regular Hats 14'
ライドシンバル〜Zildjian K Custom Ride 20'
ハル:ベース〜ESP LONG WAY II RED
エフェクター〜Sans Amp Bass DRIVER
EBS multi comp
チューニングはレギュラーです。
mic:1st、2nd其々に、特に思い入れのある曲を、理由を添えて一曲ずつ挙げてください。
マサ:全曲思い入れがあるんですけど、1stでは「無限の旅」と「黄金の日々」あたりがライブの時ものすごく集中してると思います。
2ndだと「ハラキリロール」が意欲作で「酔っぱライダー」と「百鬼夜行」はとにかく弾いてて楽しい曲です。
あと「千年一人酒」は去年手術のあとに薬の影響でジストニアが再発した時にギターライフの置き土産にと思って右手をほとんど使わずに弾けるフレーズを組み立てて作りました。まあ原因になっている薬をやめたら治ったんですけど。
ニッタ:1st「無限の旅」〜
私が加入してから最初に演奏した曲なので印象深いです。初めてラフ案をもらったときに何故かスムーズにドラムフレーズの全体像をイメージできて固めていくのも早かったことも印象的です。そして加入後しばらくはライブの1曲目に演奏することが多かったので、イントロが流れると気が引き締まります。
2nd「インスマスの影」〜
マサゾンビからの課題を元に独りPCで制作した曲です。ラブクラフトの同名小説を読んで感じた印象や情景を詰め込めたかなと思います。
かなり異質な曲ですが他の曲を引き立てるスパイス的な役割を担えているかなと感じてます。
実は音楽活動を通して自作曲が収録されているのは初めてのことでしたので一際思い入れは強いです。
ハル:1st「美酒」〜ハードロックのようなパワフル感がとっても好きな1曲です⭐︎米国でも受けるのでは…?笑*
2nd「鬼殺し」〜歌詞が異常にキャッチーで、マサさんでなければ出てこないような語呂がゴロゴロ出てきます♪天才ですね…?と聞くたびに思っています。是非歌詞にも注目してご賞味ください⭐︎
mic:ライブで演奏される際に意識していらっしゃることはどんなことですか?
マサ:素直になることですかね〜。
ニッタ:トラブルも含めてライブ!直前まではあれこれ考える、始まったら楽しむ!
ハル:3人のグループが気持ちよく出せるように、3人とは思えない!!音の広がりを出せるように努めています。
mic:皆様が墓まで…もとい、「これだけは地獄に持ち帰りたい(?笑)」と思うアルバムを挙げてください。
マサ:
BLACK SABBATH「TYR」
IRON MAIDEN「SEVENTH SON OF A SEVENTH SON」
WILLIAM ACKERMAN「CONFERRING WITH THE MOON」
ニッタ:たくさん有りますが洋楽だとDream theaterの「Scenes From A Memory: Metropolis Part 2」です。ハードなものからバラード調まで網羅されており映画を観ているような印象を受けます。陰鬱さと激情さを兼ね備えた曲を越えた先に待つバラードでのカタルシスはクセになります。邦楽ですとやはり「Blue Blood」ですかね。
地獄へ凱旋する際にはBGMとして1曲目のWorld Anthemを使いたいです。
ハル:地獄へ持ち帰りたいアルバム!(笑)
Children of BodomのHoliday at Lake Bodom: 15 Years of Wasted Youthです♪メロディックなデスメタルを地獄で響き渡らせたいです⭐︎
mic:来る6月、HARAKIRIZOMBIE初の東京公演が決定していますが、ライブに向け此方のリスナー〜ファンの皆さんへ、見どころほか何かアピールしたいことがありましたらお願いします。
マサ:個人的には久しぶりの東京です。いつも温かく迎えてくれて感謝しています。
ハラキリゾンビでは初の県外でのライブで一体どうなるのか不安もありますが、会場のみんなと一緒に楽しめればそれが一番だと思ってます。
見どころは、私が帯刀しているのが見えるかどうかですね。心のきれいな人なら私の腰の刀が見えるはずです(笑)。
ニッタ:あまり意気込みすぎると空回りしてしまうので気負わず焦らず力まずライブができるよう準備に励みます。
対バンの皆様も豪華です、一緒にライブハウスで楽しみましょう!
ハル:初めての東京遠征!HARAKIRIサウンドをパワフルに焼き付けさせたいと思います!(是非遊びに来てください⭐︎)押忍!!
mic:最後にマサさん、バンドのリーダーとして一言お願い致します。
マサ:インタビューの前半でも言ったように、作曲のアイデアは毎日無限に湧いてくるので、気が早いんですが3rdアルバムのことを考え始めてます。
アルバム一枚ぶんのネタはすでにありますし。
あとは今年は沖縄県内、県外問わずチャンスがあれば大きめのフェスに出てみたいです。お誘いがあればの話ですけど。笑
ツアーは6月以外にももう一本くらいは行きたいです。今作も日本中の方が買ってくれてて、本当ならその人たちのいる街にどんどん行きたいくらい。まずは東京でのライブをしっかりやってハラキリ愛好家とのご縁を深めたいと思ってます。
これからもHARAKIRI ZOMBIEと一緒に楽しんでいきましょう!
あと、私の道場「養神館合気道海龍館なんじょう」はいつでも入門大歓迎です‼︎‼︎(笑)
かくして三本の道は交わった。遠い昔に売った魂を買い戻し、渡った筈の川を、揃って此の世に戻り来た。
荒野に吹き荒れる風の如く、彷徨いながら辿り着く次の場所は…あなたの棲む其の街かもしれない。
Mikako"micKie"Takahashi